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2011年7月6日水曜日

なぜか今日は、日記



なぜか今日は殺人なんて起こらない気がする。
だけど裏側には何かがある気もする。



もうずいぶんと踵をすり減らす旅路である。
あの頃の緊張感と焦燥を取り戻す為のもがきからは解放されたものの。


あの人の想いを振りほどき、低く暗い曇天の空だけが続き行く。
道玄坂で偶然すれ違ったことを誰にも言わないことに決めた。


象は涙を流した分だけまぶたのしわの数が増えていく。
母象のまぶたが重いのは出産と失恋の結果なのだ。


嘘でござい〼。


なぜか今日は、またあの冬と同じ夢を見ている。
曖昧な青春は浴槽にへばりつき、ジャーっっと流れていかない。
Forget the swan.
ひまわり畑の匂いがとても嫌いで。
緑色のプラスチックの如雨露の角が削れて白くなっているのも気に入らなかった。


『ポリエステルが燃えて出る黒い煙が、
女の子のシャンプーの匂いと混ざった時の気持ちをわかりたいと思わないか?』


あの子はドラ猫みたいだったから、
俺は猫じゃらしを振り回したかっただけだったのだ。
たぶんピンクの猫じゃらしを。


おそらく我に許された季節は終わり、
明日の昼あたりから獣となって。
放っておくと怒るんだっけ?


何気なく季節は変わり。
人は変わらない。


「久しぶり。。なんか雰囲気変わった??」
いつものように頬を染めて君は言った。
きっと優しい嘘なのだ。


変わらないよ。何も。



意味じくも今年も三軒茶屋の茶沢通りには七夕の短冊がおごそこに飾られており。
ちょうど僕の部屋から見下ろす位置に飾られた短冊には、
今年も心を圧縮される願いが書かれていた。


「あの人のところに行けますように。」
「もう一度でいいからあの人に会えますように。」


被災地の復興を願う短冊たちを遥かに凌駕する力強い筆跡。


『これを書いた人物の願いはきっと永遠に成就することはないのだろう。』
『それでもきっと来年も同じ願いを掛けるのだ。。この人は。。』
と考えてはいたが、今朝にはもうすっぱり忘れていた。


震災のこともそうだ。
自身、考えがまとまってはいないので改めて書くことはまだ先とするが。
やはり様々な憤りを持たざるを得ない。
今後はこういった事象には必ず、自己的なものと客観的なもの、
2つの視点からの評点を設けようと思っている。






例えば、「日本人はこんなときでも暴動や窃盗をしないすばらしい国民性だ。」だとか。


例えば、しばらく義援金ランキングで持ち切りだったyahooニュース。だとか。


例えば、不謹慎のボーダーラインを模索しているだけだった友達の発言。だとか。


例えば、自粛の是非について居酒屋で議論する若人達のファッションが気になった。だとか


例えば、「○○した方がいいんだよ!」とかいう、国を挙げての○×クイズとか。


例えば、原発にヘリコプターから消化剤を振りまき「海風に流されてしまった。」だとか。


例えば、尖閣諸島の流出ビデオがいまだにYoutubeで見られること。だとか。


例えば、地震の呼称を決めるための会議に費やされた時間のこと。だとか。


例えば、定額給付金のもたらした効果、意義とは何ぞや?だとか。


例えば、ショップ店員の「これカーディガンなんですよぉ。」だとか。


例えば、タイマーズの曲を「今こそ聞くべき歌!!」とか言ってるの。だとか。


例えば、「君って何歳?」に対する「えぇぇ、何歳に見える?」だとか。






例えば、やっぱり一番つらいことは『想いが相手に伝わらないこと。』だなぁ。だとか。





SUNDAY。
新宿。 
網タイツ。
スーパーマーケットの帰り。


乳母車。
ショートパンツ。
酉の市。
スマイルなブロンド。



泣いてる。
マスカラ。
地べた。
笑ってよ?さぁ立って。


「おやつの時間だ 甘いもんでも食いに行こう。」




なぜか今日は殺人なんて起こらない気がする。
だけど裏側には何かがある気もする。
でも。
なんか今日は。
でも。
きっと今日は。